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鳴かない鶏

「『鳴かない鶏』って知ってるかい?」
 そう問いかけたのは白夜だった。
 ベッドの上で寝転がっていたミーシャ、カリィ、メグは、彼女の問いかけがわからずに首を横に振った。
「なあに、それ」
 鶏は鳴く。朝のけたたましい鳴き声は、このレレンティカの宿でも聞こえてくる。養鶏場は宿から少し離れた場所にあるはずなのだが、それだけ鶏の声が大きく、響き渡るものなのだろう。
 メグの問いに、白夜はにやりと口の端を持ち上げた。
「いやな、図書館で面白い本を見つけたんだ」
「おもしろい?」
「……あんまり、良い感じじゃなさそうね」
「ふふふ」
 怪しげな笑みを浮かべる白夜に、カリィは頬をひきつらせた。ミーシャとメグはその意味が分からずにただ首を傾けるのみ。
「ゼーレヴィアに伝わる怪奇話をまとめた本さ」
「「ええええっ」」
 声を上げたのはミーシャとメグだ。顔を青くし、ミーシャはがばっとベッドの中に潜り込む。カリィは「やっぱり……」と呆れたように呟いた。
「もうすぐ夏だし、季節先取りってことで。怪談話にでも花を咲かせようじゃないか」
「夏ったって……まだ早いでしょうに」
「いやいや! そう言っている間に夏は過ぎてしまうものだよ」
 一人盛り上がる白夜は、三人の様子を気にすることもなく勝手に語りはじめた。
「その昔。養鶏場には仲睦まじい番の鶏がいたそうだ」
「……なんか、最初から嫌な予感しかしない」
 カリィが間に口を挟むも、白夜の言葉は止まらない。
「餌を食べる時も、散歩をする時も、夜寝る時も、片時も離れなかった。それだけその二羽は愛し合っていたんだろう」
 なんというラブラブカップルな鶏なのだろうか。これが事前に『怪談話』と聞かされていなければ、どれだけ幸せなお話なんだろうとわくわくできたものを……。
 しかし、怪談というからには……あまり、その先を想像したくない。
「しかし、愛し合う二人にも時間がきてしまった。雌の鶏……そうだな、コケ子にしよう。雄はコケ夫な。コケ子とコケ夫は離ればなれになってしまった」
 弱肉強食。いずれ喰われてしまう運命とも知らずにコケ子とコケ夫は愛を育んできた。
 ミーシャとメグは固唾を呑んで白夜の次の言葉を待つ。カリィはやや飽きたような視線を送りつつも、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「まずはコケ夫がいなくなった。食肉用として出荷されてしまったんだな。しかしそのことをコケ子は知らない。コケ夫がいなくなったその日の朝から、コケ子は彼のことを叫び続けた」
 それも、朝から晩までずっと鳴き通しだったのだという。最初こそ綺麗な鳴き声だったのだが、いつしか喉は枯れ果ててしまい、ひび割れた耳障りな鳴き声と化してしまった。
 そして止まないコケ子の声は、近隣に住む者にとって迷惑なものでしかなかった。朝も昼も夜も鳴いている鶏の声は、たとえ一羽であろうともうるさいものである。
「ある日、とうとう養鶏場の主がコケ子の首を斧で落としたそうだ」
 一瞬の出来事。赤く吹き出す鮮血。見開かれた瞳。開いたままの嘴。ばたりと倒れた体は羽をばたつかせていたが、徐々に力が抜けていき最後には動かなくなった。
 養鶏場の主であり鶏達の育ての親は、ただ仕方がないとコケ子を土に埋めた。
「それから数日後……コケ子の首を落とした養鶏場の主に奇妙なことが起こりはじめた」
 まずは鶏に追いかけられる夢だった。いつもの仕事が終わり自宅に戻ろうとするが、ふと気がつくと何かに後をつけられている気がするのだ。振り返ると、一羽の鶏がおぼつかない足取りでついてくるのだという。暗がりで全身を見ることはできなかったが、養鶏場から逃げ出した鶏だろうとわかった。足につけられたタグが、自分の養鶏のものと同じだったからだ。
 男はその鶏を保護しようと近づいていく。
 あと数歩近づけば手が届くというところで、男は気づいてしまった。
「その鶏には……首から上がなかった」
 ヒッとミーシャは布団の中で悲鳴を上げた。
「そ、それは……まさか」
 メグが生唾を飲み込む。
 白夜は小さく頷いた。
「そう、その鶏はあのコケ子さ」
 気づいた男はコケ子から逃げ出すように駆けだした。
 ちらりと後ろを向けば、コケ子も追ってきていた。羽をばたつかせ、白い羽毛と首から流れる赤い液体を飛び散らせながら。
 男は走り続けた。ただ一心不乱に鶏から逃げることしか頭になかった。あの鶏が復讐しにきたのだと、そう思うほかになかった。
 逃げて逃げて、しかし、いつの間にか道は終わっていた。目の前にそびえ立つ壁。行き止まりの道に迷い込んでしまったようだ。飛び越えようにも飛び越えられる高さではなく、かといってよじ登れるようなところでもない。
 ひた、と気配を感じて振り返る。
 そこにはあの首なしの鶏が立っていた。首がなくてわからないが、こちらを向いているのだろう。ただ、立っていた。
 男はなぜかそこでほっとした。襲ってくることはない、と漠然と思ったのだ。
 一歩、足を踏み出す。コケ子は動かない。
 二歩、三歩、と歩きだした。それでもコケ子は動かない。男は安心しきった表情で、コケ子の脇を通り抜けた。
 安堵が全身を包み込んだ。追いかけてくるから、殺されるものだと思った。鶏なのだから、そんなことできるはずがないのに。
 きっとあの鶏ももう力を使い果たして倒れただろう。
 そこでもう一度、男は振り返った。
『ワタシノクビヲカエセェェェエエエエエ』
 耳朶に直接響く声。
 その声が、なぜかあの鶏だと思ったのは『クビヲカエセ』と言ったからだろうか。そう悟った瞬間には、すでに目の前を黒い影が迫っていた。
 そこで、男は目を覚ました。なんだ、夢だったのか。朝日が昇る少し前くらいの時間。いつもなら鶏の声で目を差ますはずが、夢見の悪さで起きてしまうなんて……。
 変な夢を見たものだと思いながら、男は身支度を整えた。キッチンに行けば、妻が朝ご飯の支度をしていた。テーブルに並べられた料理のある一品を見て、ギョッとした。
 その一品を指さして「これ、どうしたんだい」と妻に聞けば「安売りしてたから買ったのよ」と返答。
 それは鳥の丸焼きだった。朝からこんな料理を出すとは、いったいどういうことなのだろうか。安売りしていたからといって、朝からこれは……。
 気は進まないがせっかく作ってくれた料理に口をつけないわけにはいかない。男は一口、口に入れる。
 とてもおいしかった。
 それと同時になぜか違和感を感じた。漠然とした違和感。ついで、嫌な予感が全身を駆け巡った。
「……ああ、そういえば」
 妻が、なんとはなしに口を開ける。
「確かこの鶏はあなたのとこのよね?」
 その言葉に、男は愕然とし、イスから転げ落ちそうになった。まさか、この丸焼きにされた鶏は……。
 男はそれ以上食事に手をつけることができなかった。荷物を抱えて、自宅を出る。
 向かうはいつもの仕事場である養鶏場だ。
 そういえば、いつもと何かが違う気がする。そう思うのに、なにが違うのかが分からずに気持ちが悪い。
 いつの間にか養鶏場にたどり着いていた。扉を開けて、男が一歩足を踏み入れた瞬間。
「……!?」
 しん……とした空気が養鶏場内を覆い尽くしていた。いつもなら騒がしいはずなのに、一羽も、鶏は鳴いていなかった。ただただ静かに、いくつもの瞳が男を見つめていた。
 そこで気づいた。いつもと違うと思ったのは、朝だ。いつもなら、朝に鶏達の鳴き声が聞こえるはずなのに、今朝は聞こえなかった。悪夢で目が覚めたから、聞こえる前に目が覚めたのではない。
 そもそも、鶏達は鳴いていなかったのだ。
 暗がりからこちらを見つめる鋭い眼光。獰猛な猛禽類を想像させるそれは、一種の恐怖を呼び起こす。
 男は慌てて養鶏場の扉を閉めた。くるりと背を向けて、その扉に全体重をかける。一気に全身から力が抜けて、ずるずるとその場に腰を落とした。
 いったい、なにが起こったというのだ。これも夢なのだろうか。……そうだ、夢だ。夢に違いない。早く。早く早く早く早く早く覚めろ!
 何度も何度も念じ、男は頭を抱え込んだ。これは夢だ。目が覚めればあの鳴き声とともに自分も目を覚ます。さあ、早く鶏達よ鳴け。そして起きろ、自分。
 …………コケ。
 突然、耳に届いた鳴き声。自分の待ち望んでいた朝の鳴き声ではなく、それは、聞きたくない声だった。
 男は腕の中で目を見開いた。まさか、いや、そんなはずはない。あれは夢だった。そう、夢だ。そして今は現実だ。
 ……現実? 夢に違いないと、思ったのは、ついさっきじゃないか。
 それじゃあ、これは夢? それとも、現実?
 全身を恐怖が覆い、小刻みに震えはじめた。ゆっくりと、ゆっくりとした動作で、男は腕の中から顔を上げる。それ以上は開かないであろう瞳は、血走っていた。
 そして男は見てしまった。その存在の姿を。
『……コケ…………コケェ……』
 二羽の鶏がこちらに向かって歩いてきていた。愛おしそうに、寄り添い歩いている。その姿を見て、男は確信した。
 一羽は首がなかった。夢に見た、あのコケ子だ。
 そしてもう一羽は……。
「ヒィ……ッ!!」
 丸焼きにされた、朝のあの朝食の時に出てきた一羽だった。あの鶏は、やはりコケ夫だったのか!
 つがいの鶏がこちらに向かって歩いてくる。男は逃げだそうとしたが、腰が抜けて立ち上がることさえもできなかった。
 目前に、つがいの鶏がやってきた。首のない一羽と、全身を丸焼きにされた一羽。その二羽ともが、こちらをじっと見ていた(コケ子は頭がないので、実際に男を見ていたかどうかは定かではないが)。
 瞬間、ニタリ、と不気味な笑みを浮かべたのは丸焼きにされたコケ夫。続いて、コケ子が翼を大きく広げた。
「ッうわああああああああ!!」
 ドスン、というものすごい衝撃が背中から発せられた。男はひっくり返り、地面に叩きつけられる。バサバサという羽ばたき音。ついで、全身を襲う激痛。
 男は、鶏達に襲われているのだと理解したと同時に意識を失った。もう、彼が目を覚ますことはない。
 そして、男を喰い破った鶏達は養鶏場の中に戻っていった。その場に残されたのは男が着ていた衣服のみ。血の一滴も、骨さえも残さず、男がそこにいたということさえも分からないほどに。
 首を失った鶏と、丸焼きにされた鶏のつがいがどこへ消えたのか、
 今もまだ謎のまま。仲間の鶏達とともに養鶏場に戻ったのか、それとも……。
「っていう話だったねえ」
 白夜が語り終えると、ミーシャは涙目で声をあげた。
「やだやだもう寝られないじゃないっ!」
「ほう。ならば寝なければいいんじゃないか?」
「そういう問題じゃないのー!」
 頭を抱えているミーシャをよそに、白夜はあっけらかんとした表情をしていた。いつの間にかメグは布団の中に潜り込んで寝ており、カリィは二人をなだめる為に間に割ってはいる。
「まあまあ、落ち着きなさいって」
「アンタたち、いい加減に寝なさいな」
 その時、部屋の扉を開けてレティカが入ってきた。
「声が外まで駄々漏れだよ? 夜だから少しは静かにしなね」
「「「ごめんなさい」」」
「……まあ、でも」
 そこで、ふとレティカは考えるそぶりを見せた。次の瞬間、この場が凍りつく台詞を言うことを、今は誰も気づかない。

「この先の養鶏場にいるのよね。一羽だけ、鳴かない鶏が」

お題 by 星葬

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