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飴色に輝く虹の橋

飴色の虹

 昼過ぎから降り出した雨は、日が傾いていくに従い、太陽とともに去っていくようである。隻真は湿気でうずく顔の右半分をさすって、ほうと小さく息をついた。書きかけの書面も湿気をすってずいぶんと書きにくくなってしまっている。目に負担はあるが、雨が上がった後にまた、明かりの下で仕事の続きをするとしようか。
 立ち上がり、閉めておいた扉を開くと、内よりも少しだけ冷たい風が、多量の湿気を含んで廟内へ侵入してくる。顔をしかめて天を仰ぐと、先ほどまで土砂降りといってもよかった雷雨は、徐々に勢いを減じてきているようだった。

「……この分ならば、日暮れには雨もあがっていよう」

 彼がつぶやくと同時に廟の奥からほっとしたようなため息。よかった、と小さな声が薄暗い廟内に吐き出された。

「困ってたんだ、明日のピクニック、雨降ったらどうしようって」
「そうかね。しかしこの降り様ではおそらく明日は暑くなる。冷えた茶でも用意しておこう」

 頼むよ、とまた声。それはいつもより少しばかり高く、少しばかり鼻にかかっているような印象である。隻真は苦笑し、それから口元を押さえた。

「……今、笑ったろ」
「……ふっ……いいや? 笑ってなど……」

 うそだ、と泣きそうな声が聞こえてくる。ちらりと隻真が振り返ると、像の影にきらりと輝く金色の髪。膝を抱えている人影は、おそらく常の彼以上に丸いシルエットにおののいているのだろう。無理もない。服装と精神はかつてのそれだが、服装の中身、精神の器は……。

「……メグのそれか」
「……なんでやねん……」

 メグ本来の声なのだろう、鈴を転がすようなソプラノをできうる限り低くしてうめきながら、璧歌はひざに顔を埋めていた。

「くそ、さっきまではちゃんとおれの姿だったのに……」
「こちらにも虹がいるとはな」
「は、コウ?」
「くぐったろう」

 覚えてない、と低くつぶやく声は情けなくふるえている。

「虹には女を男に、男を女にする能力がある。自分の体をくぐっていった者にいたずらをするのだ」
「……何それ超迷惑だぁ……!」

 うんざりした声。隻真は目を細めた。

「そう邪険にしたものではない。相手にとっては単なるいたずらだ」
「……猫パンチでぶっつぶされたアリンコの気分だ……」

 隻真は思わず吹き出した。言い当て妙、とはこのことか。

「して、メグはどこに?」
「……アワくってチーフに報告に行った……」

 頭を抱えて璧歌はイヤイヤとかぶりを振る。

「いやだぁぁぁ……永遠にこのままだったらおれこのままここにすむ……!」
「めったなことを言うものではない。虹は何度でも遭遇しているだろう。再びくぐれば元に戻ろうよ」

 笑い声を噛み殺しながらそういってやると、がばっと顔を上げた青年――いや、今は少女か――が縋るようにこちらを見上げてきた。

「え、ホント!?」
「……っ、ああ、もうじき雨もやむ。虹も綺麗に上がろう」

 笑い顔を隠そうと隻真は口元を袖で押さえる。その反応を見て、半分べそをかきながら璧歌は元の場所に座り直した。

「……明日の朝までに上がるかな、雨……」
「さて、どうかな」
「……ラシュウやカリィにあっても絶対分かってもらえないよ、こんなんじゃ……」
「グレン殿に【なんぱ】されるかもしれぬな」
「……リアルに想像しちゃったじゃん……」

 言いながら璧歌は外を覗き込む。空は幾分か暗くなり始めていたが、同時にそれは夕暮れの暗さであって幾重にも重なる雲の暗がりではなくなっている。雨が上がる兆候だ。

「……もうじき止むな」
「うん」

 二人の前でそぼ降る雨はすぐにその勢いを失っていき、やがて空に雲の切れ間が出来上がる。ふと視線をそらした隻真が、手にした扇子で璧歌にある一点を示した。

「……見たまえ、虹があがる」

 璧歌がそちらへ視線をやると、山間から輝くものが雲の切れ間を目指して展へ駆け上がっていこうとするのが見える。その姿に、璧歌は思わず目を瞠ってその姿を凝視した。

「ドラゴン!?」
「虹は竜の眷族。……といっても三本爪の下級竜だが。……黄昏に上がる虹は美しいな」

 うん、と夢見心地で璧歌は頷く。光の加減で七色に輝くのだろうその鱗は、黄昏の朱を浴び、陰りはじめた日の光がその朱を更に陰らせて……。

「飴色の虹だ……」

 虹は璧歌と隻真を見下ろすと、すぐそばにあるイチョウの木へ顔を預け、悪戯好きそうな大きな瞳をくるりと璧歌へ向けた。くぐれ、と言いたいらしい。その様を見上げ、璧歌は呟いた。

「……ホントに虹なんだな……」

 アーチを描く飴色の竜を見ながら、一歩を踏み出す。二歩、散歩と歩きながら、璧歌は隻真を振り返った。

「多謝、芳先生! 明日のピクニックちゃんと来いよ!」

 叫んで踵を返す。その金色の髪が朱色と飴色の輝きを受けながら次第に黒へ変じ体つきが男のそれへ変わっていくのを見送りながら、隻真は頬を掻いて笑った。

「……やれ、とんでもない夢を見せられたものよ」

お題:【飴色に輝く虹の橋】(お題 by ふりそそぐことば

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