『同じ書き出しでどれだけ違うストーリーを作れるか』お試し企画!

119.つちふる様

   ○ ユートピア


 たまたま、外に出ようと考えたのは数十分前のことだ。
 家の外へ一歩出ると、ねっとりとした熱い空気が全身にまとわりついた。これから季節は涼しくなっていくというのに、まだ暑苦しさが残っている。
 額から頬にかけて流れ落ちる汗を乱暴に手の甲で拭う。
 そのまま手を下に下ろすと、少し先に誰かが立っているのに気付いた。
 細身の体型で、背はやや高め。色白で整った顔立ちはいわゆる美青年なのだけど――
 何というか、無難なパーツを組み合わせて作られた人形のようで、魅力がないわけではないけれど、どこか違和感をおぼえてしまう。
 綺麗にまとまりすぎているせいかしら。なんて。
 今どきの子はでも、だいたいそんな感じだ。
 すれ違い様に目があってしまったので、私は軽く会釈をしつつ美青年の横を通り過ぎる。
「あの!」
 歯切れの良い声で呼び止められたのは、その七歩後だった。
 振り返ると、好奇に満ちた瞳がこちらを見ている。
「はい?」
「あ、呼び止めたりしてすいません。ひょっとして、寿命持ちの人かなと思って」
「…どうしてそう思ったの?」
「え。だって、それ」
 言いながら、美青年は私の額を指す。
「汗、ですよね?」
 にじむ汗がまたひとつ、私の頬をつたって落ちる。代謝のある寿命世代ならではの症状に、青年は目を輝かせて言う。
「僕、寿命持世代のかたに会うの初めてなんですよ。授業で習ったりして知識はあるんですけどね。…あの、どこかへお出かけですか?」
「べつに。ちょっとブラブラしようかと思って外に出ただけ」
「ブラブラ? それはどういう目的で?」
「目的? 目的はないよ。ブラブラというのは、ただ歩くだけのこと」
「…ああ、すごい」
 その声には呆れた感じはなく、むしろ心から感心しているような響きがあった。
「寿命世代は目的がなくても耐えられると聞いてましたけど、本当なんですね」
「いや、べつに耐えてるわけじゃ」
「じゃあ、逆に『するべきことがあるのにやらない』でいることが出来る、というのも本当ですか?」
「それはあるよ。良くあるというか、それがほとんどって言って良いくらい。…やらないでいることが出来るって、なんかおかしな表現だけど」
「僕らにはその感覚が理解できないんです。優先順位の結果、今の作業を保留して別の作業をするということはありますけど。やらないといけないけれどやりたくないという感覚―― なんて言うんでしたっけ」
「面倒くさい?」
「それ。面倒くさい。その面倒くさいという感覚が、非寿命の僕らにはまるで理解できないんですよ。……あの、目的もなく歩いていたんですよね? ただブラブラと。意味もなく。無駄な時間を過ごされているんですよね?」
「…私、馬鹿にされてるのかしら?」
「とんでもない! 感心しているんです。感動と言ってもいいかもしれない。あの、少しお話とかできませんか? 色々と聞きたいことがあるんです」
「や、ちょっと急いでるんで」
 それこそ面倒くさい、だ。
「でも、目的もなくブラブラしてるって言ってましたよね?」
 皮肉だったら逆上して立ち去れたのに、青年があまりに無邪気な顔で聞いてくるものだから、私に出来ることは話をそらすことぐらいだった。
「…そういう君は何をしてるの?」
「外回りの営業をするつもりだったんです。今日は休みなので」
「休みなのに?」
「休みの日でないと、なかなか外回りが出来ないんですよ」
「…へえ」
「何かおかしいですか?」
「べつに。私たちにはまるで理解できない感覚ってだけ」
「ええ。ですから、そのあたりのことを語り合いたいんです。どうでしょう?」
「営業はいいの? これってかなり無駄な時間だと思うけど」
「営業よりも寿命世代のかたと話せる機会のほうが、はるかに優先されますよ。なにせ絶滅が近いってうわさがあるくらいですから」
「絶滅って、大袈裟だよねえ」
 私は苦笑してしまう。べつに人類が絶滅してしまうわけではなくて、単に寿命世代が終わるだけなのに。
「あそこの喫茶店なんてどうです? 待たされないのが良いんですよ。待たされる食事ほど無駄なことはないですからね」
「あなたたちって無制限に生きられるのに、なんでせっかちなの?」
「さ、行きましょう」
「うん。行きません」
「え?」
 私がきびすを帰して来た道を戻り始めると、青年は慌ててあとをついてきた。
「え、どうして?」
「面倒…… じゃなくて、やることを思い出したの。早く家に帰ってゴロゴロしなきゃ」
「ゴロゴロって何です?」
「あなたたちには理解できないし、我慢もできない作業のこと」
「あ。じゃあ、それを見させてもらっていいですか?」
「だめに決まってるでしょう。気心の知れた相手ならともかく、初対面の人の前でゴロゴロなんてできないわ」
「そうなんですか。とてもデリケートな作業なんですね」
 答えるかわりに微笑んでおく。
「それなら… そうだ。車で送りますよ。急いでゴロゴロしないといけないんでしょう? 車なら早く帰れますし、その間、僕はあなたと話が出来る。これってすごく良い案だと思いません?」
 屈託のない笑顔は純粋そのもので、異性に対する下心的なものをまるで感じさせない。非寿命世代は繁殖する必要がないので、そんなものを持つ必要がないのだろう。
 それでも、私は首をふる。
「ありがとう。でも、遠慮するわ」
「お住まいは近いんですか?」
「そうね。歩いて三十分くらいかな」
 青年は無言で目を見開いた。車なら五分で行けるのに、どうしてわざわざ無駄な時間を費やそうとするのだろう。と、訳せそうな表情だった。
「それじゃ」
 私はついてこないでねという意思表示をこめて手をあげ、歩く速度をあげる。
 さすがに今度はついてこなかったけれど――
「僕、リンドウって言います」
 かわりに声が追いかけてきた。
「また、会えませんか?」
 私は聞こえなかったことにするつもりだったけれど、ふと思いついて青年を振り返った。
「明日ならいいよ」
「本当ですか? それは是非!」
「じゃあ…… 明日の十一時。待ち合わせ場所はここでどう?」
「ええ。かまいません」
「…即答するけど、仕事は大丈夫なの? 会社の都合とか」
「大丈夫です。今やっている仕事は二世紀先の企画なので」
「あ、そう」
 その企画がスタートする頃には、間違いなく私はいない。
 私の遺伝子なら残っている可能性があるけれど――
 それよりも寿命世代が終了している可能性のほうが高そうだ。
「それでは、明日の十一時。楽しみにしてます」
「うん」
 私が軽く手をふると、リンドウは非寿命世代ならではの憂いのない笑顔で手を振りかえし、休日の営業回りに戻っていった。
 来た道を戻りながら、私は寿命世代ならではの意地の悪い笑みをうかべる。
「十一時には午前と午後があるんだよ」
 初対面で待ち合わせるには非常識な時間だから確認しなかったのだろうけど、私は午後十一時のつもりで言ったのだ。……なんて。
 幼稚な言葉のトリックに、我ながら恥ずかしくなる。
 それでも、リンドウは気づくことなく待ち続けるだろう。
『待ち合わせに来ない』という意味が理解できず、首をかしげて。
 約束をすっぽかすとか、人を欺くとか、だますとか。そういった悪意を彼らは持ち合わせていないのだ。
 だから、理解することもできない。
 貧富も差別もなく、つねに満たされている。
 だから、彼らは争うこともない。
 病気や障碍もなく、老いや寿命もない。それは、私たちで終わり。
 彼らには、だから、死も誕生もない。
 どこまでも善意にあふれた日常が、どこまでも果てなく続く彼らの世界を――
 きっと、ユートピアと呼ぶのだろう。
 雲ひとつない空に、私のため息が溶けていく。
 明日の十一時。
 午後十一時。
 私は 『約束どおり』 の時間に、この場所へ来るつもりだ。
 リンドウは、いるだろうか。
 無駄が存在しない彼らには 『待つ』 という概念がないのだから、いるはずがない。
 でも、彼らにとって 『約束』 は、守る以外の選択肢をもたないから、約束をした私を待ちつづけるはず。
 どちらにしても、リンドウは彼ら世代にはない行動をとらざるをえないのだけど……。
 リンドウは悩むだろうか。
 でも、悩むという概念もないのにどうやって?
「さてさて、どうなるかしら…」
 何だか明日が楽しみになってきた。
 私は弾む足取りで、ゆるやかな坂道をのぼっていく。
 しかめっ面で考えこむリンドウは、なかなか魅力的かもしれない。
 そんなことを思いながら。

 流れる汗が、またひとつ。

                         了

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