『同じ書き出しでどれだけ違うストーリーを作れるか』お試し企画!

126.市原 梓様

 たまたま、外へ出ようと考えたのは数十分前のことだ。
 家の外へ一歩出ると、ねっとりとした熱い空気が全身にまとわりついた。これから季節は涼しくなっていくというのに、まだ暑苦しさが残っている。
 額から頬にかけて流れ落ちる汗を乱暴に手の甲で拭う。そのまま手を下に下ろすと、少し先に誰かが立っているのに気付いた。
 近くの村の人だ。頭に日除けの布を巻いた女性が二人、村へ至る緩やかな坂道の途中で、身を寄せ合うように互いの腕にしがみつきながら立っていた。見覚えのある顔だが、名前は覚えていない。そもそも、きちんと名前を聞いたことが無かったかもしれないと思い至る。二人は遠くから何事かを囁きあいつつこちらを窺っていたが、俺が見ていることに気づくとぎこちなく笑顔を作って坂を上ってきた。
「おはよう、今日も暑いわねぇ」
「もう本当に! ただでさえ仕事が捗らないのに、あなたも一人で色々しなくちゃいけなくて大変よねぇ」
「そうよねぇ。ねぇそれなのにこんなお願いするの、悪いとは思うんだけど、そろそろ時期だし、いつものお呪い頼めるかしら」
「でもねぇ、あなた、まだお父さんの忌も明けてないでしょう? 非常識だと思ったら断ってもいいんだからね。この人にも控えるようにって言ったんだけど全然聞く耳持たないもんだから」
「――ちょっとあんた、何人聞きの悪いこと言ってんだい。あんたは坊やが失敗して妙な呪いがかかっちまうんじゃないかって心配なだけだろう?」
「ええ! わたしはそんなこと言いやしません。あなたははっきり言ってましたよ。古くなったものには悪いものが寄ってくるから、さっさと交換してもらわなきゃ、て」
 話しかけた相手をおいて、言った言ってないと喚き出した女性たちは、正直面倒だった。その上、家のドアが内側から音を立てようものなら、父親を亡くして一人暮らしのはずの家で他に何かいるのかと、より面倒な好奇の視線に晒されるのだろう。
 俺はため息を吐く代わりに、脇に抱えた籠に目を落とす。使い込んだ空っぽの籠は陽を浴びて飴色に光っていた。畑に香草を採りに行くのに、普段なら五分と掛からない。道理で今日は嫌な予感がしていたんだな、と納得する。
 小さな子どもに読み聞かせるお話のような魔法使いは、実際には存在しない。現実に魔法使いと呼ばれる人々は、杖を持たず猫も従わせず、呪文も唱えない。代わりに、手ずから削った木材は世代を超えて長持ちする椅子になり、田を耕せば天候に恵まれずともよく実る。代々伝わる手順に沿って作れば、ただの御守りも様々な効果を持って家や村を守るらしい。父さんが手入れした家で、父さんが作った家具や食物で育った俺は、そうじゃないものをよく知らないけれど。
 そうして、父さんがそうだったように、俺も魔法使いだと物心つくころに聞かされた。切っ掛けは何だったか、確か、よく晴れた日に脚を傷付けた鳥が低木の陰に隠れているのを見つけたんだ。好奇心から触れようとして、伸ばした手を止められた。
「そのままでは苦しめるよ」
 その時は意味がわからなくて、触れる行為とはつまりいけないことなのだと印象づいただけだったが。
 それから少しずつ、父さんは魔法使いについて教えてくれた。魔法使いとはつまり、自分の強い感情や意思が外向きに作用して他者に影響を与えやすい者のことを言うのだとか、その特性は太りにくいなどの体質と同じで親から子へ引き継がれるのだとか、衰弱した生き物に対しては強烈な興味が凶器になりうるのだとか。――方向性のわかりにくいその性質は、時に人々から恐れられるのだとか。
 魔法使いという呼び名で敬遠されるのはもう慣れたことだし、呪いを掛けた御守りは少なくも大事な収入源だから、求められれば当然応じる。面倒なのは、体面を気にして取り繕う人々と適当に意思疎通しなければならないことだった。
「あの」
 つらつらと思い出しているうちに、常日頃の鬱憤にまで飛んでいた二人の争いに、思い切って水を差す。すると、女性たちは俺の存在を今思い出したというふうに、肩を揺らしてぴたりと口を閉ざすから、内心可笑しかった。
「ここ数年の御守りの半分は俺が作ったものですから、それで問題が無かったのなら、今後も変わりのないものをお渡しできると思います。一人で作るので少し時間が掛かるかもしれませんが、それでも良ければ」
 告げると、二人は心底安心したように――満足したようにくしゃりと顔を歪めて、浅く何度も頭を下げた。
「まあ、本当に? いつの間にかお父さんと同じくらい丁寧でしっかりした仕事をしてくれていたのね」
「それならこれからも安心できるわ。時間のことは気にしなくて良いから! 本当に、色々落ち着いてからで構わないんだからね」
「ごめんねぇ、今日はなんか急かしに来ちゃったみたいで。何か手伝ってあげられたらとは思うんだけど、ウチに仕事残してきちゃったの思い出して」
「あらやだ、あたしもだわ! 悪いわね、今度は畑で採れたものでも持ってくるから」
「じゃあね、邪魔しちゃってごめんねぇ」
 自分たちの目的を果たして、そそくさと踵を返す女性二人。こんな用事でもなければ、この坂を村の人が上ってくることはない。だからだろうか、二人はやや早足で慣れない坂を下りきったようだった。
 俺は二人が振り返らずに歩いていくのを確かめてから、固く握っていたドアノブを解放した。一呼吸おいて、かちゃりと音がする。玄関からゆっくりと姿を現したのは、俺と変わらないくらいの、十代半ばほどの少女だ。
 他人とは言えないから身内だろうけど、血のつながりは無い。木の実で染めたような優しく淡い髪色も、星が輝くような銀色の目も、俺のものとは全く違う。父さんの死後、見知らぬ少女と共に暮らしていることを村人に知られるのは、流石にまずいだろう。そう思って女性たちが帰るまで出てこないでいてもらったのだが。
「……ロイ」
 感情に乏しいなかでも、比較的トーンの下がった彼女の声が、最近やっと覚えた俺の名を呼んだ。直前に俺が着いてこいなんて言ったから、すぐ後から玄関を出ようとしていたのに、それを阻まれて不満なのだろう。
「悪かった。でも村の人に知られたくないんだ。根掘り葉掘り聞かれるのは面倒くさい」
 聞かれても、恐らく俄かには信じがたい内容しか答えられないというのも問題かもしれない。家にあった油絵から出てきた少女です、なんて正直に言っても、果たして村人は信じるのか。
 庭の畑の一角、香草を育てている場所にしゃがみこんで目的のものを収穫する。隣に同じようにしゃがみ、俺がアステと名付けた少女がそれを見ている。
 仮に、絵から生まれたこの少女の存在を信じられたとしても、これまた問題があった。
 魔法使いは内に秘めた力を外向きに転換させることができるが、それ自体は誰もが持ち得る力だと、思う。触れる、言葉を交わす、見つめ合う。人間を含めた生き物はみな他者と影響しあって存在している。だから、これだけなら魔法使いは、他より影響力が大きいだけだ。でも、もしも、生き物で無いものに影響を与えて、生き物にすることができたら。もしも、一枚の絵画に描かれた少女を、人間として絵から生み出すことができてしまったら。命を自由にすることができたなら。
 それは危険なことだ。信心深い人は神の領域を侵したとか言うかもしれないし、そうでなくてもきっと誰もが危険だと理解できる。やはりアステのことは、知られないに越したことはない。俺自身の身の安全と、アステの身の安全と、世界にちらほらと存在しているらしい他の魔法使いたちの身の安全のために。
 うん、と一つ頷いて、もみ上げから伝う汗を肩口で拭った。香草を蓄えた籠を抱えて立ち上がろうとして、けれども視界に入ったアステの姿に項垂れる。わざわざ持たせた手拭いも、膝の上でぎゅっと握りしめているばかりでは半分も意味を成していない。
 仕方が無いから、その拳から手拭いを引き抜いて、長い髪を首に張り付かせている汗を拭いてやった。そうして手拭いを返すと、ようやく意味を理解したのか、自分で顔全体を拭い始めた。表情が乏しくて、涼しい顔をしているように見えても暑いものは暑いし、不快なものは不快なのだろう。
 忙しなく動く手が何だか可笑しくて、思わず声が漏れてしまった。すると、アステは手を止めて、俺を見ながら首を傾げる。
「何でもない。早く家に入ろう、アステ」
 瞬く銀色の目に空の青が映りこんで、無垢に光った気がした。

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