『同じ書き出しでどれだけ違うストーリーを作れるか』お試し企画!

46.珠流様

 たまたま、外へ出ようと考えたのは数十分前のことだ。
 家の外へ一歩出ると、ねっとりとした熱い空気が全身にまとわりついた。これから季節は涼しくなっていくというのに、まだ暑苦しさが残っている。
 額から頬にかけて流れ落ちる汗を乱暴に手の甲で拭う。
 そのまま手を下に下ろすと、少し先に誰かが立っているのに気付いた。
 これは珍しい。
 太陽から隠れるようにして、楡の木の下に立っていたのは半人半馬の娘だった。彼女は恨めしそうに太陽をちらりちらりと見上げては、少しずつ位置の変わっていく陰に合わせて、じりじりと移動する。それはあたかも地球と月の関係のように、不可侵であれど関わらずにはいられない、不可思議な距離感を思わせるものであった。
 されどそんな様子を観察出来るほどに長い時間見つめていれば、さすがに彼女もこちらに気づいたようだった。
 "はいりますか?"
 音には聞こえなかったが、その口の動きとひらりと翻した手の動作で察する。どうやら不審者とは思われていないようだけれど、しかし好奇の目で見てしまったのは事実である。都心部で異人を見かけることが少ないのであるから、というのは理由にはならぬ。種こそ異なれど、年頃の娘なのである。先に失礼をはたらいたのは――いや、一方的にの間違いであろう――一方的に失礼をはたらいたのはこちらであるからして、やはり気恥ずかしさを隠しきれぬ顔で、申し訳ない体を装って、私は楡の木陰に同席したのである。
 暑さと興味の天秤であれば、躊躇いもなく興味を選ぶ程度には私の価値観も現代社会とやらにまみれているのだなぁ、などと思うのも、隣に半人半馬の娘がいるという稀有な体験に踊る心を紛らわすためであろう。自身の心中を持て余し気味に、ちらりと視線を娘へ向けた。
 彼女はじぃとこちらを、それもずっと見ていたようで、当然のように目があってしまった。
 しばしの沈黙は、彼女が望んだものかどうか。少なくともこちらとしては気まずいもので、視線をなんとか外そうと試みるも、けれど彼女の虹色の瞳の魔力に囚われたかのようにそれはかなわない。
 故に何かきっかけを。暑さと気恥ずかしさでろくに回らぬ頭をひねりひねり、
「どうしてこんなところに」
 しまった、と思うも既に遅い。後悔とは後にしか出来ぬのだった。太陽の暴力を避ける為であることは明白なのに。
 けれど彼女の答えはどこか不思議なものだった。
「瀝青がこんなに熱くなるとは思っていなかったので」
 はて聞いたことのない単語だと首を傾げると、彼女は続ける。
「あすはると、と言うのでしたか」
 嗚呼嗚呼然り、と頷いて。けれどそれは単語の意味を納得しただけである。アスファルトが熱いのがこの小さな避暑に関係があるのだろうか。
 ちらりと視線を下へ向ける。そうしてようやく、彼女の言わんとすることを薄々と理解した。
 今度は、娘が恥ずかしげに顔を伏せた。
 娘の蹄は、やはり鉄で出来ているわけである。なればこそ、アスファルトの熱が彼女の四脚を苛んだのだろうと。
 日は傾きかけていた。
 彼女の意図するところを考えるのなら、彼女はもしかしたら、一日中この木の下で少しずつ、じりじりと太陽から逃げていたのかもしれない。
 私はやはり、少しおかしくなって、
「お嬢さん、そういう時は片手をあげて、こう呼べばよろしい」

 その一年後、やはり同じ場所で。
 けれど二人手をつなぎ、私よりも頭二つは背の高い彼女とからからと笑い合いながら、私は片手を上げてこう言った。
「ヘイ、タクシー」

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